和帳、洋式帳簿、伝票類の製造により紙製品製造メーカーとしての立場を確立したコクヨは、製造から流通、販売にいたるネットワーク作りを進め、西日本における地位を確かなものにします。さらに、関東大震災以後の、被災地の窮状を配慮した誠実な取り組みによって、関東進出を成功させ、全国区メーカーとして成長することになります。この時期の商品開発で特筆すべきは、まず、帳簿紙の国産化です。当時帳簿紙は、良質ではあっても安定供給が難しいイギリスからの輸入紙を使っていましたが、王子製紙に協力を仰ぎ、輸入紙に劣らない良質な国産帳簿紙を開発、1930年には念願のコクヨ帳簿紙が誕生しました。
もうひとつのトピックは、コクヨ便箋。商品としては、1914年から製造していましたが、その後帳簿紙同様に紙質の改良を重ね、さらに、便箋がどのように使われているかを身近な人間にヒヤリングするという、現在でいうユーザー調査を創業者自ら実施。こうして生まれたのが、1932年に発売された「色紙付書翰箋」です。
これは、当時の一流日本画家の作品を色紙に再現し、表紙の次頁に挿入するという画期的な試みで、たいへんなヒット商品になりました。