80年代後半から加速化する「高度情報化社会」の流れは、インテリジェントビルが話題になるなど、オフィス業界をも席巻します。これは、ニューオフィス推進運動と相俟って、ニューオフィス“ブーム”となり、コクヨは売上高2000億を達成したわずか3年後の1991年に、3000億円企業となります。
このとき、コクヨでは、それまでの紙製品、家具という従来の二本柱に「情報」を加え、新しいコクヨのイメージを「オフィス空間創造型企業」として打ち出します。90年代に入ってからは、この情報化と並行するように、国際化の流れが顕著となり、93年、戦後初となる海外駐在員事務所をドイツに、95年には香港に開設し、情報収集、分析活動をスタートさせます。また、円高に対応するため、海外での製造、販売計画に着手。まず、96年にタイに合弁企業を、翌97年にはマレーシアに100%出資の現地法人を設立し、それぞれステーショナリーとファニチャーを生産する工場を建設しました。もうひとつ、この時期にスタートさせた重要な活動として、環境問題への取り組みがあります。93年には、環境に関するボランタリープランとして「コクヨ環境行動憲章」を制定、企業として環境に取り組む姿勢を、広く社会に宣言したものでした。