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- 「流通・販売ネットワーク」
- 全国コクヨ専門店会第1回総会(1957年)
良品廉価と信用を第一に成長し続けたコクヨの周辺には、その考え方や姿勢に賛同する卸会社や販売店によって、自然発生的に流通ネットワークが誕生しました。1924年に誕生した東京国誉会もそのひとつ。これは、前年に起きた関東大震災という未曾有の災害により、この地域の紙製品メーカーが被災し、関西に需要が殺到したのですが、その中で創業者善太郎は出荷検品を通常よりいっそう厳しくし、価格も低く抑えることで被災地復興への支援の姿勢を貫いたことが、地元の問屋の共感と信頼を得、そのうちの12軒の問屋が集まって結成されたものでした。戦後になってからは、コクヨの製品だけを取り扱う、いわゆる“専門代理店”が全国に登場するようになり(注1)、1957年には専門代理店20社が「全国コクヨ専門店会」を結成。その後、「総括店」と名前を変えたこの専門代理店は、90年代には66社にまで増大していました。それは、ほとんど資本関係がないにもかかわらず、それぞれその地区を代表するコクヨ営業所のような機能を果たすという、他に類を見ないユニークな流通体制でした。
- 1948年当時の伊藤商店(東京)。この2年後、コクヨ初の専門代理店として名乗りを上げる。
一方、販売ネットワークとして特筆すべきは、KJM(コクヨジュウリーメンバーズ)と呼ばれる、いわゆる販売店会の存在です。販売店会そのものは、別段目新しいものではありませんでしたが、コクヨのそれは、単に親睦を深めることが目的ではなく、「取引高によって販売店をランク付けし、それに応じて報奨金を支払う会員システム」という、設立当時としては衝撃的な内容の組織でした。実際、メーカーが得意先である販売店をランク付けする(注2)という前代未聞の試みが反発を買う可能性も否定できず、構想からしばらくは、社内でも喧々囂々の議論がありました。最終的には、当時の社長黒田暲之助の決断によって1968年、KJM第一回大会が京都で開催されますが、そうした危惧は杞憂に終わり、販売店からはむしろ好意的に受け入れられたようです。以降KJMは、全国の販売店が互いに切磋琢磨する場となり、コクヨの販売ネットワークの強化・拡大に大いに寄与しました。
- (注1)その第一号は、東京の(株)伊藤商店。伊藤社長は、戦前から二十数年にわたる善太郎との交友から、その経営理念に共鳴、それまで複数メーカーの中堅代理店として盛業だった同社は1950年、コクヨ製品専門代理店として新発足しました。
(注2)紙製品部門と家具部門の2コースあり、それれぞれの取扱高ランクには、エメラルド、ダイヤモンド、サファイヤ、オパールなど、“ジュウリー(宝石)”の名前が付けられました。