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- 「色紙付書翰箋」
- 色紙付書翰箋
便箋が、インクとペンの普及にともない、現在のような洋紙一枚ものの形態として定着するのは、大正初期と言われています。コクヨ初の便箋の発売も、大正3年頃のことでしたが、当初は台紙に約100枚の用紙をくっつけた簡単なものでした。その後、多くのメーカーが競って同様の商品を投入するなか、昭和7年発売の「書翰箋」が大ヒットした背景には、コクヨならではの創意工夫がありました。そのひとつは、帳簿紙同様、ユーザーの利便性を考えた紙質の改良と、商品の安定供給をめざして専用紙を開発したことです。もともと、便箋紙の別抄造は採算が合わないとされていたのですが、当時最新の設備と技術を誇っていた製紙会社の協力を得ることができ、「3K便箋紙」と呼ばれる便箋専用紙の開発に成功したのです。もうひとつの工夫とは、それまで各社が競って市場に投入していたのが、表紙に人気絵画などをあしらった意匠便箋であったところに、色紙を挿入した「色紙付書翰箋」にしたことでした。これは、表紙は中紙がなくなれば、いずれ捨てられますから活版2色刷りの簡単なものとし、別に切り離して保存ができる豪華な色紙を付けたもので、絵画は一流どころの作品を使い、印刷もより忠実に再現するために10色以上のオフセット刷りという凝りようでした。
当時の便箋の常識を覆した色紙付書翰箋(昭和7年発売)