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- 「和式帳簿」
- 大正時代に発売された和帳
創業から3年目、黒田は和帳そのものの製造に着手します。
とはいっても、和帳を製造しているメーカーはすでに多数あり、後発組として苦戦を強いられます。
さらに、どれだけ努力しても、他社の製品よりも価格がわずかに高止まりになってしまう。
創業者、黒田は、他社の製品を徹底的に調査した結果、それが中身の紙の違いからくるものであることを突き止めます。というのも、他社製品の紙は、和帳に厚みをもたせようと、紙質のしまらない、表面のザラついたものがほとんどでした。当時、筆記用具は筆からペンへの移行が急速に進んでおり、この紙だとペン先がひっかかって書きづらいという難点がありました。そこで黒田は、ある製紙会社に頼み込んで、紙の目方を重くして引き締め、表面の滑らかなものを別漉きしてもらっていました。
- 和帳の製造風景
さらに、使っているうちに、後ろの数ページの端がめくれてきて使いづらくなるという和帳の欠点を補うため、黒田は中身の上下に、手漉きの丈夫な当て紙を使っていました。また、中身の枚数も100枚としながら96枚とか98枚の商品が多かった中、正確に100枚であることにこだわり「正百枚」と表示しました。これが、他社製品に比べてどうしても割高になってしまう原因であることが分かったのですが、どれも商品を買い、使ってくれるお客様のことを考えた末の工夫でしたので、黒田は、消費者に迷惑をかけられないと、あくまでもそのままの製品で押し通すことにしたのでした。
和帳に「正百枚」をあえて表示し、お客様に品質のお約束をした名残は今の便箋にも残っています。