商品化された作品
EMBRACE NOTE
〈2023 優秀賞〉
最大の特徴は、儚げに溶け合う罫線と余白のグラデーション。
それは、まるで静かな波の満ち引きのように、
私たちに余韻のある書き心地をもたらします。
心に浮かぶ言葉や情景、すべてのアイデアが、
無理なく、そして流れるように共存できる、
ありそうでなかった新しいノートの提案です。
コクヨ直営店「THE CAMPUS SHOP」(東京・品川)、「THINK OF THINGS」(東京・原宿)、「KOKUYODOORS」(東京・羽田エアポートガーデン)、 「コクヨ公式ステーショナリーオンラインショップ」、「コクヨステーショナリー楽天市場店」 にて販売。
応募のきっかけは過去作品への感銘
コクヨデザインアワード2023において優秀賞を受賞した「EMBRACE NOTE」。罫線と余白がグラデーションで溶け合うデザインが特徴のノートです。文字や図、イラストがシームレスに共存することで、ユーザーの自由な発想を受け入れるツールとしての側面を持っています。
中国出身の作者カク シンガイさんは、日本の多摩美術大学の大学院でプロダクトデザインを学び、現在は母国中国を拠点にデザイナーとして活躍しています。カクさんがコクヨデデザインアワードへの応募を決意したのは、日本留学時にコクヨの文具を愛用していた経緯が大きく影響していると言います。
「日本に留学していたときに、コクヨの製品に触れる機会が多くあり、そのデザインや機能性の高さに魅了されました。とくに、アワードの過去作品を見て、日常生活に根差したイノベーションの視点に感銘を受けたことが、応募の大きなきっかけとなりました」
作者のカク シンガイさん(最終審査時)
コクヨデザインアワードへの応募は2度目となるカクさん。前回の経験を踏まえながら、2023のテーマ「embrace」に込めるべきメッセージを探りました。
外出制限の日々で見つけた「embrace」の解釈
制作に着手し始めたころ、大学院を卒業し中国に帰国したカクさんは、コロナ禍の影響で日常生活が制限される日々を送っていました。その中で「embrace」というテーマを目にしたカクさんは、強く心を動かされました。
「当時、中国では外出制限が厳しく、人との距離を感じる日々でした。その中で『embrace』という言葉に触れ、"境界を柔らかくする"ことの大切さを考えました。その結果、文具の中でも自分にとって最も身近な存在だったノートに焦点を当て、罫線と余白の境界を曖昧にするデザインを思いつきました」と、作品誕生の背景を教えてくれました。
実用性とデザインを両立するために
アワードでの受賞後、さっそく「EMBRACE NOTE」の製品化に向けた開発が進められました。その過程を担ったのは、コクヨで主に紙製品の開発を手掛ける吉田慎平です。コクヨデザインアワードの製品化を担当するのは、偶然にもカクさんのアワード応募回数と同じく2度目だという吉田。「今回の『EMBRACE NOTE』はコンセプチュアルな要素がある反面、実用性の面でも可能性を感じました。製品化に成功すれば、新しいノートのスタンダードになるのでは」と、作品を見た第一印象を振り返ります。
コクヨ開発担当の吉田慎平
製品化にあたり、まずは試作を重ねました。リングノートや野帳サイズなど、さまざまな仕様を検討し、実際に社内のクリエイティブ職の社員に使用してもらいながら、フィードバックを集める日々。罫線のグラデーションについては「はみ出して書いても、罪悪感がない」といった意見が多く、自由度の高さが評価された一方で、「小型の野帳サイズは持ち運びに便利だが、自由にアイデアを書き出すには面積が足りない」「リングノートだと、リングの部分が手に当たることで思考がさえぎられる」といった声も。これらのフィードバックを踏まえて、最終的にはA5サイズの見開き性の良い製本仕様に決定しました。
印刷技術の選択が、課題解決の突破口に
「キャンパスノート」をはじめ、ノート開発において多数の実績をもつコクヨ。製品化は順調に進むと思いきや、吉田は「罫線の絶妙なグラデーションを量産向けの印刷技術で再現するのはとくに難しかった」と、当時の苦労を明かします。「データ上ではきれいなグラデーションが再現できていても、印刷すると細かな点々になってしまい、滑らかさが失われることがありました。当初は凸版印刷でトライをしていましたが、再現性に難があったため、グラデーションに強いオフセット印刷に切り替えることで、イメージ通りの仕上がりに近づけることができました」
カクさんも、この試行錯誤を通じて、自身のデザインが形になる過程に感動を覚えたと強調します。「吉田さんが多くのサンプルを作って試作を重ねてくださり、私自身も実際に試すことができました。ユーザーのフィードバックや工場でのテスト結果を反映しながら、最適な仕様を見つけ出すプロセスは、とても貴重な経験となりました」
目指したのは"波打ち際"のようなグラデーション
吉田が今回の開発の軸としたのは、作品がもつ「儚げな美しさ」を再現することでした。「罫線と余白の境界については、カクさんの中で"波打ち際"という明確なイメージがありました。それを表現するために、罫線が濃すぎても世界観が崩れてしまうので、どのくらい薄くするのか、またどこからグラデーションを開始させるのか、その消え方のバランスにはかなり気を遣いました」
罫線と余白の境界は、儚く繊細な“波打ち際”のようなグラデーションを目指した
さらに、表紙のデザインにも細やかな工夫が凝らされています。吉田は「表紙の色を白にすることで、作品がもつ儚げな世界観が際立つようにしました。そして帯紙にはトレーシングペーパーを使い、透明感のある素材に"波打ち際"のイラストを重ねることで、情緒的なイメージを表現しました」と、開発過程でこだわったポイントを教えてくれました。
白を基調とした色やテクスチャ感のある素材で、作品がもつ「儚げな美しさ」を表現
そして、罫線の色にはカクさんのこだわりが詰まっています。「開発期間中に、たまたま日本の恋愛ドラマを観たんです。その舞台が北海道でした。映像に出てくる空や雪の景色が本当に儚げで美しく、その世界観を『EMBRACE NOTE』でも表現したくて、罫線の色は青色を選びました」と、自身がインスピレーションを得た出来事を回想してくれました。
ユーザーのアイデアで作品を進化させてほしい
こうして完成した「EMBRACE NOTE」。「罫線と余白の境界を曖昧にすることで、使う人の思考の流れを妨げることなく、自由にアイデアを書き進められる設計となっています。ぜひ、一人ひとりのもつ創造性を引き出すツールとして活用してほしいです」とカクさんは今後の期待を話してくれました。
さらに、「EMBRACE NOTE」をどんな人に使ってほしいかと吉田に尋ねると、「いろいろな使い方ができるからこそ、あえてターゲットは絞らず幅広い人に使ってほしい」と回答が。固定概念にとらわれず、一人ひとりが自分ならではの使い方を見つけることで、「EMBRACE NOTE」はもっと進化できるはず。そう信じて、この作品がユーザーのどのようなシーンに寄り添っていけるのか、カクさん、そしてコクヨ開発メンバー全員が今後の展望に胸を膨らませています。